学問のブログ記事

私は日本生まれ日本育ちの日本人です。
けれど、日本語が喋れますと自信を持っていえなかったりします(他の言語が喋れるわけではありません)。
日本語って、本当に難しいですよね。
日本語だけではなく、その難易度は言語全体の共通事項なのでしょうが。

常々、綺麗な日本語を喋りたいなと思っています。
言語と言うのは変化し続けるものであるため、なにが綺麗でなにが綺麗じゃないかということを明確に説明できるものではありません。
たとえば、現在「丁寧」とされる日本語だって、百年前の「丁寧」とは大きく違うでしょうから。
言葉とはコミュニケーションツールである以上、ギャル語に代表されるようなローカルな日本語が綺麗じゃないと一概には言えないですよね。
でも、そうは思いながらも、綺麗とされる日本語を喋りたいという思いを失うわけではありません。
もっと正確に言うならば、実力派アナウンサーの方々が使いこなすレベルの日本語が喋りたいです。

最近、言葉についてかなり衝撃的な話題を目にしました。
それは、言語学者である金田一春彦さん(辞書の編者とし名前を見たことは絶対にあるでしょう)の「日本語を反省してみませんか」という本の中の話です。
「目上の人に塩を取ってもらうときの最も丁寧な言い方はなにか」皆様はこんな質問をされたならどんな答えを思いつくでしょうか。
「塩をとっていただけますでしょうか」これは不正解です。
だって、これは、目上の方に指示をしていることになりますものね。

正解は「すみません、それはお塩でしょうか」だそうです。
この言い方であれば、指示をしていません。
しっかりとした日本語を操る方にとっては特に驚くに値しないことかもしれませんが、わたしはこの正解を目にしたときにかなり衝撃的でした。
とってもらうときに、とってくださいということを言わない。それでいて気持ちを伝える。

綺麗な日本語の道はまだまだ険しいです。

Wikipedia 金田一春彦


いい国、作れる?

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中学時代、高校時代、社会科の勉強で歴史年号をたくさん暗記しました。
その多くは今は忘れてしまったけれど、時に今年が何年なのかすらおぼろげになる状態だけれど、いくつかは残っています。
そして、そんな記憶に残っているものの大半って、語呂合わせで覚えたものなんですよね。
たとえば、鳴くよ(794)ウグイス平安京(実際に平安京ができた季節はウグイスが鳴かない季節だと聞いたことがあるけれど)、
なんと(710)綺麗な平城京、
意欲に(1492)燃えるコロンブス、
これからきっと今後ずっと忘れないかなと思っています。

そんな年号について、最近知った衝撃の事実があります。
「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」でお馴染み、鎌倉幕府の成立についての年号ですが、最近の教科書を見ると1185年と書かれているものが多いという話なんです。
たとえ1192年と記されているとしても、『「名実共に」1192年に成立』といったように一文「名実共に」が付け足されているとか。
現在、専門家の間では1185年成立説の方が有力なんですって。
覚えた知識が間違っていたときって、けっこうショックです(歴史の話なので、間違っていると断定はできないかもしれないけれど、一般論として)。
まあ、間違えたまま生き続けるよりはよかったですかね。
知らないまま過ごしていたら、いつか「鎌倉幕府は1185年」と教えられてきた世代に「多口さん、こんな常識も知らないんですか~」ってバカにされたかもしれないわけですから。

1185年じゃ、いい国が作れなさそうだな~。
(ガッツ石松さんが「よい国作ろう鎌倉幕府」と覚えて4192年と間違えたという伝説は本当でしょうか?)

鎌倉幕府 - R25.jp
Wikipedia ガッツ石松
Wikipedia 鎌倉幕府

ネット上某所にて「知ってる曲が30曲以下ならアニオタ公言禁止」というものがあったのでやってみました(リンクはしませんが)。
63曲のサビ部分が次々と流れて、その中で知っているものが30以下ならアニヲタじゃないっていうテストです。おそらく作成者の主観に基づくものであって、根拠はないです。でも、曲数がそれなりにあるので、一種の判断基準ぐらいにはなるかも。
あっ、アニヲタって、アニメオタク(アニメヲタク)の略です。説明する必要ないでしょうが。
わたしは別にアニオタだと公言していませんし、といいますか、実際、謙遜でも逃避でもなんでもなくアニオタじゃないです。
「マンガ」と「アニメソング」は確かに人並みよりほんのちょっと好きですけれど。

で、やってみた結果なのですが、「多分5曲ぐらいかな」と思っていたら35曲知っていました。
おかしいですね。
数え間違いかな。
数え間違いでしょう。
というか、坂本真綾や林原めぐみは堀江由衣は一般人でも知っているでしょう(えっ、知らない?)

まあ、わたしがオタクかそうじゃないかはどうでもよいとして、オタクの定義ってなんなんでしょうね。
辞書によると、ある物事に対して過度に熱中する人をオタクと呼ぶそうです。う~ん、わかりづらい。
Wikipediaでも調べてみたのですが、明確な定義はやはりない模様です。
というか、今じゃ「オタク」は死語化しておりで「~ヲタ」と呼ぶようになってきているそうですね。

そもそも、マニアとオタクってなにが違うのでしょう。
オタクの方がイメージが悪いのかな……(マニアだってよくはないかもしれないけれど)。
野球や釣りといった一般的に受け入れられやすい分野を好きな人がマニアで、アニメやゲームといった一般的に受け入れられやすい分野を好きな人がオタク……とも一概に言えないよな。

好きな対象物の狭さで判断してみてはいかがでしょう。
たとえば「特定のアイドル」を好きなのはそのアイドルのマニア(もしくはファン)、「アイドル業界(市場)全般」を好きなのはアイドルオタク。
それでいくと確かに「広く浅く」をモットーとしているわたしはマニアよりはオタク方面なのかもしれない(浅いとオタクではないでしょうけれど)。

と、色々考えてみたものの、答えは出ません。
けれど、わたし、明確な基準はないのに、普段、オタクかどうかを様々な場面において判断しているんですよね。
イメージによる判断なんでしょうね。
そのイメージが人によっては「偏見」という名になるのかもしれない。
わたし自身はオタクというものになんの悪い印象もないですし、自分がオタクだと言われても気にもならないです(言われ慣れました)。
でも、オタクに対するイメージの悪さというものを感じる機会は多々あって、そんなときはやっぱりよい気分じゃなかったりします。
だって、好きなものを好きって言ってなにが悪いのさ!

人間関係の大部分はイメージによって支配されているというものだとしても、それが人間という生き物の根本だとしても、イメージだけで蔑視するのは自分にとっても周りにとっても決してプラスにならないはずです。

余談ですが、ネット上某所にて「アニメ&ゲーム525曲サビメドレー(400曲以上知ってたら人生やり直し)」というものもやってみました。一時間もかかったよ。
こちらは234/525でございました(多少耳に残っている程度を入れればもっと行くでしょうが)。
最近のものは本当にほとんどわからない。
400以上行く人はすごいな~と素直に感動。

*- Victor artist web site 坂本真綾 【I.D.】-*
MEGUMI HOUSE
StarChild:堀江由衣


      

サヴァン症候群

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いわゆる「天才」と呼ばれている人たちについて本やネットで調べたりするのが大好きです。
そこでは常識を遥かに超えた価値観だったり才能だったりが輝いています。
スポーツの分野での「天才」より学術的分野や芸術的分野での「天才」に惹きつけられます。
それはどうしてでしょうかね。
わたしの単純な趣味嗜好によるものでしょうか。

「ずば抜けた才能」が素晴らしい方向に活かされるかどうかは別として、そのエピソードの数々に心奪われます。

そんな「天才めぐり」の日々の中で、よく目にする単語の一つとしてサヴァン症候群があります。
発育や自閉についての障害(必ずしもこれらの障害とは限らないそうですが)を持ちながらも、ある特定の分野において常識離れした能力を発揮する人たちを指す言葉です。

たとえば、有名な事例としては以下のようなものがあります(真偽の確認はしていません)。
・数千冊の本の内容をすべて暗記している
・年と日付を元に即座に曜日を答えられる。それがたとえ千年以上先の日付であっても。
・初めて聴いた曲を完全に間違えず再演奏することができる。しかも目が見えないしピアノのレッスンを受けたこともないのに。
・ものが右にあるか左にあるかの説明はできないのに複数桁の掛け算を即座に解く。

これらの能力の良し悪しについて語るつもりはありません。
ただ、こういう特殊な能力を持っている方々の思考には非常に強い興味があります。
思考ではなく価値観と置き換えてもよいかもしれない。
卓越した計算能力を持つ者には世の中の数字がどのように見えるのか。
デジカメ並の記憶力を持つ者にとって思い出とはどんなものなのか。

とあるマンガで『お互い理解しあえるのはほとんど「点」なんだよ』という印象深い台詞がありました。

身近な人と自分を比べてみても、共通する部分なんて点でしかないのかもしれない。
もしもすべての能力が同じ同士でも、視力が0.1違うだけで目に映る景色も価値観も大きく異なるのでしょう。
線として分かり合える相手なんていないのかもしれない。

人間って恐いぐらいに不思議で面白いです。

Wikipedia サヴァン症候群
Wikipedia 岩明均


   

単位の話 後編-「1+1=?」-

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子どもの頃、かの発明王エジソンの伝記を読みました。
そこに一つ、興味深いエピソードが載っていたのです。


エジソンがまだ小学生の頃のエピソードです。
先生が、子どもたちに授業をしていました。
土でつくった団子を二つ並べて、1+1が2だということを教えるのです。
それに対してエジソンは反論します。
二つの団子をくっつけてしまえば、1+1=1だという反論です(つまり、大きな一つの土団子ができるということ)。
先生はエジソンの反論を「言われたまま覚えればいいのよ」みたいな感じで拒否し、エジソンは学校を辞めて母親に勉強を習う……確かそんなエピソードでした。


子どもの頃のわたしは、エジソンは面白い発言をするなと思ったのです。
そして、1+1は2に決まっているとも思いました。エジソンをちょっと見下しました。
でも、少し冷静になってみると、エジソンが言った「1つの土団子が2つあれば大きな1つの土団子」という考えを否定できないわたしに気づくのです。
間違っているのはエジソンじゃなくて自分の方なんじゃないかと。


あれから時は流れてわたしも少し大人になって、今ではエジソンの考えに対する自分なりの解答を用意することができます。
計算式というのは単位が明確であるからこそ成り立つものだとこの口で言えるのです。
そして、単位を上手に変換すれば、1+1=1だってありえます。
つまり
小さな団子1個+小さな団子1個=小さな団子2個
という式も
小さな団子1個+小さな団子1個=大きな団子1個(※大きな団子の体積は小さな団子の二倍とする)
という式もありえるわけです。


確か単位の概念をしっかりと習うのは、小学校でも後の方だったように記憶しています(記憶違いでしたら申し訳ありません)。
それまでは確か、単位の概念を気にせず、数値のみの計算をしていました。
厳密に言えば、両辺の単位が等しい前提の計算練習ですね。
わたしは教育理論の専門家ではないですが、本当はもっと早い段階で、四則演算と同時期ぐらいに単位の概念も覚えたほうがよいのではって思うときがあります。
幼少期の思考力や理解力では無理なのかもしれないですし、他の理由があるのかもしれないですが……。


とにかく伝えたいのは、単位という概念が支えているものの大きさです。


前編と後編に分けて単位のことを書いてきて、前提の大切さ、明確なものの少なさを感じました。
だって、たとえば今回の記事で1+1=2についてさらっと流してしまいましたが、実際には1+1=2の証明って本一冊書けちゃうような難しさなんですよね。
考えすぎると頭が溶けてうにになっちゃいそうなので、これで終わりにします。

Wikipedia トーマス・エジソン
Unit MARKET

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一年以上前、このblogにて、人間の目の曖昧さについてちょっとだけ書きました。
上記の杏マナー、斜めになって見えますよね。
その際、残像効果を利用した下記の写真を紹介しました。

残像効果を利用した写真

画像の上にマウスカーソルを持っていくとモノクロの写真が映るんですね。
カーソルを外すと写真ではなくイラストになります。
カーソルを外した状態で中心の黒い点を30秒ほど凝視してください。
またカーソルを乗っけると……。

あれから一年と三ヵ月、とあることがネット上で話題になっているのを見つけました。

書いてある物が消える画像:アルファモザイク

かなり衝撃的でした。わたしの顔にくっついているこの目はわたしの目だけれど、実はわたしはわたしの目のことをほとんどわかっていないんだな~、みたいな感じです。
上記のページにて紹介されていた下記のページもかなり驚きでした。
えっ、本当に静止画なの? 最初に注意書きされていますが、車酔いしやすい方は見ない方がよいかもしれないです。

北岡明佳の錯視のページ 

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学生時代、単位の基本は国際単位系基本単位の七つであるという講義を受けたことがあります。
長さのm(メートル)、質量のkg(キログラム)、時間のs(秒)、電流のA(アンペア)、熱力学温度のK(ケルビン)、物質量のmol(モル)、光度のcd(カンデラ)の七つです。
国際単位系という名前の通り、国際的に通用する単位群です。
この七つが最初にあり、その他補助単位等が存在します。

習った内容をそのまま覚え、単位についてさらに深く学ぼうとすることなく生きてきました。
そんなわたし、この国際単位系について、恥ずかしながら最近になってとある事実を知ったのです。
正確には、その事実を知識として持ってはいたものの、なんの疑問も抱かず生きてきたというべきでしょうか。

その事実についてお話しする前に、国際単位系についてもう少し説明します。

さきほど紹介した単位の七つのうちのほとんどが普遍的な物理法則によって定義されています。
たとえば、秒については「セシウム133原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の9192631770倍の継続時間」という定義がされています。
多くの方にとっては意味不明な定義でしょう。
でも、曖昧で変化があるような定義では、後々大問題が起こりえます。
だって、社会は単位を基準に動いているのですから。
もしも今日から1cmの長さの基準が変わったとしたらと想像してみてください。
今の1cmが明日から2cmの扱いになったとしたらって。
かなりの混乱が世界を包むだろうことが想像できるのではないでしょうか。

この国際単位系についてのわたしにとっての新事実というのが、kgだけは物理法則による定義がされていないということです。
学生時代にも聞いた話ですが、深く考えていなくて、よくよく考えてみるとびっくりな事実だなと。
キログラムは現在「国際キログラム原器の質量」と定義されています。
ちなみに国際キログラム原器というのはフランスに保管されている円柱です。プラチナとイリジウムでできています。
つまり、壊れるものです。
もしかしたら突然消失してしまうことだってありえます。
消失したらどうなるかって言いますと、世界中における重さの概念がなくなる……ってことはさすがにないか。
実際には、「そんな最悪の事態」を学者の方々も想定しているでしょうから、なるべく混乱が少ないような手を打つとは思います。
国際キログラム原器の複製品が国々に配布されているから、それを使ったりするのでしょうかね、そういう事態では?
ただ、複製品とオリジナルの重さが完全に同じだという保証があるわけではなく、というか重さは厳密には違うでしょうし……。
消えるや壊れるという事態まで行かないとしても、物質である以上、磨耗するだろうし……。
と、なんだか心配(妄想)してしまうのです。

そして、わたしなんかよりも何十倍も何メガ倍も何ヨタ倍も学者の方々が心配しているわけで、キログラムの物理法則による定義は議論中だそうです。

独立行政法人産業技術総合研究所 計量標準総合センター 国際単位系(SI)
Wikipedia 単位
Wikipedia 国際単位系

六次の隔たり

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20070919.jpg

某お昼の定番バラエティ番組の某電話衝撃コーナーを見ていて、先週の月曜日にお笑い芸人Aだったのにその友達をたどって今週の月曜日に超美人女優Bだったりすると「へえ、Aさんの友達をたどったら一週間でBさんになっちゃったよ。驚き」なんて思っちゃうわけですよ。「どうせこの友達ってテレビ局が決めてるんでしょう」って思う人の方が多い気もしますが……。
けれど、この「お笑い芸人Aさんからお友達を五人たどったらまったく繋がりがなさそうさ女優のBさんだった」という状況、おそらく確率論的にはそんなに驚くべきことではないんです(驚きは人生の大事な調味料なので、なんにでも素直に驚けることは素晴らしいですけれど)。
「直射日光が苦手なインドア派で携帯のメモリーに三件しか登録していないC君が実は人気アイドル歌手Dちゃんの恋人でしかも亭主関白」とかいう状況はさすがに驚きに値するでしょうが。

前振りが長くなりましたが、つい先日、六次の隔たりという言葉を初めて知りました(二度目に知りましたって言うことあるのかしら)。
簡単に説明しますと「知り合いの知り合い、そのさらに知り合い……と辿っていった場合、六人ぐらい辿った時点で世界中のだいたいの人を網羅できる」という仮説です。
mixi等に代表されるSNSはこの仮説が元になっているという話を聞いたことがあります。本当かどうかはわからないですが。

たとえば、わたしに50人の友達がいるとします。そして、その友達にまたそれぞれ50人の友達がいるとします。
友達の友達の数(2次目)は 50×50=2500 となるわけです(ただし友達が重ならないと仮定してですが)。
さらに、友達の友達にも50人の友達がいるとなると(3次目) 2500×50=125000となります。
次(4次目)は125000×50=6250000、次(5次目)は6250000×50=312500000、そしてさらに次(6次目)には312500000×50=15625000000となり、世界の人口(約66億)を上回ります。
まあ、実際にはこんな単純な数式で表せるものではもちろんないですが、少しは六次の隔たりという仮説が身近に思えましたでしょうか。

六次の隔たりに関連した実験としては、超有名心理学者スタンレー・ミルグラム氏のスモールワールド実験が代表的なものとして挙げられます。
どんな実験かというと……

まず、ある人物への手紙を用意する。
手紙を不特定多数の人間に渡す。ただし、その際、以下の二つの指示をする。
「この人物を知っている場合は手紙をその人に渡してください」
「この人物を知らない場合はこの人物を知っていそうな人に手紙を渡してください」
その人物まで手紙が辿りつく間に経た人数の平均を求める

ただし、この実験結果は人間の繋がりの度合いについて、なんらかの確証を得るほどのものではなかったです。
たとえ知り合いだとしても手紙を渡す手間が煩わしいからやめる、なんてことがかなりあるでしょうし。

六次の隔たりという言葉そのものは脚本家のジョン・グエアさんという方の戯曲「Six Degrees of Separation」が元だそうです。
また、考え方そのものは、スタンレー・ミルグラム氏のスモールワールド実験(1967年)よりもさらに前(1929年)にカリンティ・フリジェシュという作家さんの「鎖」という短編の中に登場するそうです。

「世界のほとんどの人に対して平均五人の知り合いを介することで到達できる」
という六次の隔たりが正しいにせよ誤っているにせよ(現在は正しいという確証も間違っているという確証もないみたいです)、なんだか、世界中の人と身近であると考えると、そこに様々な可能性が転がっている感じがして胸高鳴ります。

Wikipedia スモール・ワールド現象
Wikipedia スタンレー・ミルグラム
Wikipedia(English) John Guare(ジョン・グエア)
Wikipedia カリンティ・フリジェシュ
うすた京介 公式個人サイト めくるめけ日々
Wikipedia 国務大臣
ORANGE RANGE OFFICIAL WEB SITE
Hello! Project -Official Site-
AKB48公式サイト


   

ある物事だけをひたすらに追求し続けると、他の物事が見えなくなる……。
欲しかったものを手に入れたとき、すでに周りには他のなにもなくなっている……。

つい先日、ネットをしていて興味を惹かれる記事を見つけました。
二年前近くの記事なんですが、かなり興味深く読むことができたので紹介させていただきます。

Life is beautiful: 図解、イノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマという本の要点をわかりやすく書いた記事のようです(わたしは実際にその書籍を読んでいないので推測でしかないですが)。
※説明は不要かと思いますが、イノベーションとは「革新」「新製品開発」、ジレンマとは「相反する二つの事象の間に挟まれること」の意味です。

写真つきでかなり見やすいので、リンク先のページを見ていただければイノベーションのジレンマの意味はすぐにわかるかと思います。
簡単に言えば「技術や機能を追い求め続けるうちに現れた別のテクノロジーに足をすくわれてしまう」ということです。
詳しくはリンク先へどうぞ。

書かれている内容は、マーケティングや開発の専門家にとっては当たり前なのかもしれないですが、わたしは色々と考えさせられました。
世間のニーズをつかむっていうのは本当に難しいのですよね。

今日、8月25日がなんの日かご存知でしょうか。
まあ、答えをここに書くまでもないでしょうが、プロ野球の石井琢朗選手と石井貴選手の誕生日です。

と、人にはそれぞれ誕生日というのがあります。
で、誕生日があるのと同じように、年齢というものがあります。
たとえば、2000年の8月25日生まれの人は今日で7歳になったわけです。
1990年の8月25日生まれの人は今日で17歳になったわけです。
8月25日生まれの皆様、誕生日、おめでとうございます。

生年月日と年齢に関したニュースとして、ITproに面白い記事がありました。

生年月日から年齢を計算する簡単な計算式:佐野裕のサーバ管理者日記:ITpro

今日の日付と生年月日を元に誕生日を求める簡単な式として、以下が紹介されています。

年齢 = 小数点以下切捨て((今日の日付 - 生年月日)/10000)

たとえば、1985年5月5日生まれの人がいたとします。

(20070825-19850505)/10000=22.0320
小数点以下を切り捨てると22歳ということになる。

この式を見たときに、普通に考えた方が速いって大体の人は思うかもしれません。
ちなみに普通に考えるというのはきっと……

1.今年と生まれた年の間の年数の差を求める
2.今日の日付より生まれた日付が後なら1で求めた年数差から1を引く。

……という手順だと思います。
確かに頭の中でやるならそちらの方が速いでしょう。
でも、コンピュータでのプログラミングとして考えると、分岐がなく単純計算のみで済ませられるので今回紹介する式の方が適しています。
コンピュータはこの程度の計算ならまったく苦にしませんので。

こういう、身近な事象を取り上げたアイディア、とても好きです。

横浜ベイスターズ 選手名鑑 石井琢朗
西武ライオンズ 選手名鑑 石井貴

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概要

青春B運営メンバー多口カタンによる雑記blogです。
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ヘッダーイラストはkojiさん制作です。
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