学問: 2008年4月アーカイブ
昔、心理学というものをバカにしていた時期がありました。
どうしてかと言いますと、人間という生き物は先天的な要素においても後天的な要素においても千差万別であり、それを一くくりとして扱うことはありえないと考えていたからです。
しかし、歳を重ねるにつれてこの考えは変化してきました。
人間それぞれ価値観や考え方によって行動に違いがあるのは当たり前です。
ただ、行動を選ぶ際に無意識であればあるほど(反射に近づけば近づくほど)、振る舞いはかなり少数に大別できるのではないかと思うようになっていったのです。
また、意識的な行動であるにせよ、その根底にあるのはなかなかに拒絶しづらい本能的な要素であるように思います。
そう思うに至った理由は、実感、としか言いようがありません。
たくさんの人を見て、それぞれが確かな個性を持ちながらも、根底にある部分はあまり差異がないのかなと。
なんて徒然考えていると、ミルグラム実験というものを思い出します。
1961年にスタンレー・ミルグラム氏(以前六次の隔たりの記事でも名前出しましたね)により行われた「権威に対する服従」の実験です。
以下、その実験の手順です(ほぼWikipedia掲載情報の抜粋)。
/**************以下、実験の手順と結果***************/
手順1.
一般男性数十人を集める。集めた男性と同じ数だけの内部の人間(実験発案側)を用意する。
ただし、この際、一般男性側には内部の人間がいることは伝えていない(全員が一般参加だと思わせる)。
一般男性たちには学習効果についての実験という名目で集められたと説明している。
手順2.
一般男性と内部の人間を一人ずつのペアにする。
そして一般男性側を教師、内部の人間を生徒という役に就ける。
一般男性は自分が偶然教師側になったのだと思っている。
手順3.
教師と生徒を違う部屋に入れる。
部屋同士はマイクで会話可能であるが、相手の姿は見えない。
手順4.
教師は自分のペアである生徒に問題を出す。
生徒が答えを間違えた際に、教師は罰として生徒側に電流を流す。
最初15vの電圧であるが、間違えるごとに15vずつ上げていく。
教師側にはあらかじめ45vの電圧にて、罰がどの程度の衝撃なのか体験させてある。
つまり、自分が生徒に与えている罰がどの程度のものか想像しやすい。
生徒側は罰の苦しみで痛みを訴え続け、実験中止を望み、そして、無反応になる。しかしこれらの生徒の反応はすべて事前に録音されていたものである。
教師側はその反応が実際であると思いながら、罰を与えていく。
結果
実験中止を望んだ教師役には説得を試みる。
説得してもさらに中止を望んだ場合は中止とする。
40名の被験者のうち27名が最大値である450vまで電圧を上げた。
過半数以上が指示通りに生徒側に苦痛を与え続けたことになる。
さらに付け加えるならば、全員が300vまでは電圧を上げた。
/**************ここまで、実験の手順と結果***************/
似た実験としてよくスタンフォード監獄実験が挙げられますね。
一般の人を刑務所内の看守と受刑者の役に分けてどのように振る舞うかを実験したという話です。
こちらは有名な映画esの元にもなりましたので知っている方、多いでしょう。
es、見た後にはしばらく気持ちがどんよりなりますね。
ここまでどんよりする映画、わたしは他にはなかなか思いつかないです。
これらの実験が被験者に及ぼした悪影響というのはおそらく小さくないでしょう。
こういった実験に諸手を挙げて賛同するつもりはございません。
ただ、これらの実験から得られたデータが有益に活かされることは願っています。
立場が人を作るという言葉がありますが、良くも悪くもそれは確かかもしれないですね。
Wikipedia ミルグラム実験
Wikipedia スタンフォード監獄実験
Wikipedia es